杉田久女-ひさじょ-英彦山を詠む
英彦山を詠んだ俳句は、いろいろあるようですが、杉田久女が詠んだ
谺して-- の俳句は英彦山を詠んだ俳句としても有名で、又久女の
代表的な俳句としても知られています。
谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま

橡の実の-つぶて嵐や-豊前坊
という句も久女の句として有名な句です。
その他、久女が英彦山を読んだ句は200句以上あり、谺して・・・
の句を詠んだ時は5,6回英彦山に登ったとそうです。
杉田久女
1890年(明治23年)に生まれ、ご主人が旧制小倉中学(現 小倉高校)の
美術科の教師の赴任とともに小倉に住み、殆どこの地ですごし、昭和21年
1月21日に55歳でこの世を去りました。
久女は、ご主人が画家として名をなすことを望んでいました(ご主人
は、東京美術学校(現 東京芸大)を卒業し画家を志したこともあったよ
うです)が、画家として名をなすことはありませんでした。
一方、久女は ホトトギス派の女流俳人として活躍し、上記の他にも沢山
の俳句をの残しました。
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
足袋(たび)つぐやノラともならず教師妻
しかし 昭和11年に久女は突如虚子によってホトトギスの同人から除名
され精神的な衝撃を受け、終戦後の混乱期の中で、大宰府の病院で57歳
の生涯を閉じました。
松本清張、田辺聖子、といった方々が久女のことを小説に書いています。
毎年、1月21日、「久女忌」が小倉の足立山の麓にある円通寺で行われ
ているそうです。
その他 英彦山を詠んだ俳句
鬼杉の鉾の貫く霧動く 杉山 山籟
英彦の剣はなれて盆の月上る 松岡渓蝉朗
澄み切って英彦を押し出す秋の空 岸 洋子
俳句とは無関係ですが、最近 スロープカー なるものが英彦山で活躍
しているそうです。