七夕 楊貴妃
七夕は、五節句の一つで、7月7日に行なう星祭りです。
七夕の日は、一年に一度だけ「おりひめ(織女)」と「ひ
こぼし(牽牛)が天の川の上で会える日といわれ、この日
にちなんで、短冊を笹の葉につるし、おりひめ星に願い
ごとをします。
おりひめ - ひこぼし--天の川
中国、韓国では旧暦7月7日の夜, 日本では月遅れの8月
7日に多くの行事が行われるようです。
仙台七夕祭り
750年頃(唐の時代)7月7日 に唐の国の長生殿で、
玄宗皇帝と楊貴妃が比翼の鳥/連理の枝の誓いをしたと
白楽天の長恨歌は詩っています。
在天願作比翼鳥 天に在りて 願わくば 比翼の鳥となり
在地願爲連理枝 地に在りて 願わくば 連理の枝とならん
- 七月七日 長生殿にて 夜半人無く 私語の時 -
高校時代、垂永先生から、長恨歌の日本語訳のプリントを
配っていただいて、それをよんだことを思い出しました。
今でも、中国の古典に親しんでいるのは、そのおかげと感
謝しています。
そんなことを考えながら,2007年の旧暦7月7日(今年
は8月19日)の夜空を眺めてみてもどこに天の川がある
のやら、どれがひこぼしでおりひめなのかさっぱり分りま
せん。この次は事前準備をしてからこれらの星を是非見た
いも のです。
**楊貴妃
楊貴妃は718年生まれ、名は楊玉環。16歳の時、美人
(官名:官職名が美人というのもすごいですが)に選ばれ
て宮殿に入り、玄宗の第十八子の妃の一人、寿王の妃とな
り、740年十月に玄宗と玉環は初めて出会いました。
この時、唐の六代皇帝玄宗56歳、玉環22歳でした。
玉環は官名通りに美人で聡明、歌舞に長じ,玄宗の寵愛を
身に集め, 745年には皇后に次ぐ高位の貴妃となり,
756年安禄山の乱馬嵬で38歳の生涯を終えました。
**楊貴妃の美しさ(長恨歌から)
@ 漢皇は色を重んじて傾国を思う
(玄宗は漢ではなく、唐の皇帝でした。又,楊貴妃の美し
さは国を傾ける程であったそうです。江戸時代の近松
の文学などでは遊女のことを傾城ということばで表し
ています)
A 眸を廻らして一笑すれば 百の媚めかしさ生まれ
六宮の粉黛(宮中のほかの美女たち)も顔色無し
B むっちりと白い肌,ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の
花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉
C ふくよか?--川柳では以下のようになっています。
美しひかほで楊貴妃ぶたを食い
美しひ顔でれいしをやたらくい
華清池の九龍湖の畔にある楊貴妃像
** この文章は、白楽天の長恨歌、井上靖の楊貴妃伝
及びインタネット百科辞典wikipedia,その他を参照し
作成しました。
/