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重兼芳子さん(旧姓植木)は,1927年 (昭和2年) 3月7日、北海道空知郡上砂川町生まれ、S14年, 13歳の時,父親の転勤で福岡県田川市に引っ越し, S18年,16歳で田川高等女学校(現 福岡県立西田川 高校)を卒業, S22年に20歳で重兼氏と結婚, S44年短歌結社の一路会に入会 S51年1月から朝日カルチャーセンターの小説の作法 と鑑賞講座を受講,講師 駒田信二の指導を受け, ふつう?の主婦から小説家になったそうです。 |
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79,80回の芥川賞候補を経て,「やまあいの煙」(「文学界」昭54・3)で第 81回芥川賞を受賞しました。 この時候補にあがっていた村上春樹「風の歌を聴け」,立松和平「閉じる家」他 を押しのけての受賞でした。--- 村上春樹さんはノーベル賞候補にあがっている そうです。 この時の芥川賞選者の一人であった中村光夫の評:「やまあいの煙」は思い切っ て陰気な素材ですが、仕上げが美事なので、焼場の遺骨の堆積に、ある美秩序が 感じられます。リアリズムに対して加えられた近頃美事な平手打です。 〈著書〉『透けた耳朶』『うすい貝殻』『ジュラルミン色の空』『ワルツ』 『赤い小さな足の裏』『雛の肌』『闇をてらす足おと』「たとえ病むとも」 他多数あり, 癌発病後に「いのちを生きる」を発行 1985年に「やまあいの煙」 は「愛しき日々よ」と いうタイトルでで映画化されました。 又,99/09/12 の日本テレビ/知ってるつもりに登場し,ホスピス運動・重兼芳子 : 命の瀬戸際を見つめた作家: ボランティア活動ほか作家・重兼芳子は日本の ホスピス運動の先駆者で自らボランティアとして活動した。と紹介されました。 1993年8月22日に65才で亡くなる少し前まで,癌患者ありながらホスピスボ ランティアとして患者達を励まし続けたそうです。 1994年に発行された遺稿「さよならを言うまえに」には娘さんで作家,翻訳家の 重兼裕子さんが追想文「父そして母を見送って」を載せています。 |
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○さよならを言うまえに:目次 ホスピスボランティアを始めて一年半 響きあういのちのこだま―ターミナルケアとは 「生と死」のテーマを生きる 死の意味、老いの価値 弱者とともに生きる人間の尊厳 人生は、何のための人生か いのちの不思議を考える 人生の締めくくりを考える 父そして母を見送って (重兼裕子さんの追想文) |
**この重兼芳子さんを紹介する文は、立園さんから西田川高校の卒業生 としてその名前を聞き、 原田がインターネット検索で得られた情報 をつなぎ合わせて作成したものです。 詳しくは上記他の著書を読んでいただくか、下記の関連ページにアク セスしていただければと思います。